みなさん こんにちわ
たまーに昔を思い出すこと・・てありません?
なんやかんや色々とやってきたので、そういう思い出もたくさんあるわけで。。
あの時のあの子、今元気かなぁ・・とか、あの時のあれはすごかった・・とか(意味深)
そんな思い出の中でふと頭に浮かんだことが。
谷田部高速周回路のこと。
関西に居たときは谷田部ってどこやねん?・・な感じだったんですね。
仕事で関東をうろうろするとその地名にもぶち当たるわけで。
それでも近寄ることもなくかすったくらいかな?
ある時、なんとなく気になって調べてみて、もう無くなってることにショックをちょっと受けたっけ?
何気に青春の記憶の一部だったので、そういう印象だった・・てことですね。
いわゆる自動車雑誌とかのテストでよく出てた名称。
自動車のいろんなブームの中、そっち寄りからは遠のくことになり、
日本のチューニングブームもマイナーなものに。
今やホイールを変えることもマニアックに感じる世の中ちゃうの?・・とか思うんですが、
そんなことを思いつつ、そういや正確な場所、知らんわ・・と思ってググりました。
昔と今の画像を並べてみました。
左が今ですね。
この場所に右のように谷田部高速周回路があったわけです。
もう見る影もなし。
よーく観察して気づいたのが45度バンクの保存の位置と、その先のRを思わせる部分。
そしてその先のR。
ここですね。
下の矢印が残っている45度バンク、ここが下限。
で、ぐるーっと回ってまっすぐ上がったところに歩道があり、
そこがどうも45度バンクがあった様子です。
そこで合わせて見ると・・
こんな感じ。
ほんと、見事になくなるもんですねぇ
しかも一部は住宅街になってますね。
そこをいろんな車が駆け抜けて行った・・なんて思わん人もいるんでしょうね。
そんなことをしながら感傷的になるわけで。
あの子とあんなことしたなぁ・・・
そしてさらに思うこと。
サーキットの昔。
関西出身の私は鈴鹿と岡山ばっかり行ってました。
関東に来てから何度か富士スピードウェイに遊びにいきましたが、
富士も昔はバンクがあったんですよね。
大昔のことですが、まったくイメージがわかず。
なのでついでに調べてみました。
上が昔の30度バンクがあったころ。
下が今です。
左端は西ゲートの入口で合わせて右は30度バンクで合わせてスケールを合わせました。
ホームストレートちょい左のm字部分もぴったり合います。
もともとこの富士スピードウェイってオーバルを作ろうとしてたみたいですね。
断念したみたいですが、30度バンクの出口からまっすぐ最終コーナー側に伸ばすつもりだったみたいです。
いやいや、高低差・・とか思っちゃいますよね(笑
結局それはなく、その後に色々改修して今に至るわけですが・・
何度眺めてもやっぱ鈴鹿ってテクニカルやなぁ・・と思うわけで。
あ・・いろんな思い出が・・
130Rで飛びでたなぁ・・とか、スプーン2個目で飛び出たなぁ・・とか(笑
良き思い出です(笑
そんな感じですが、こういうのもわかりやすい時代になりましたね。
その時代からすれば今って十分未来なんだなぁ・・とか思ったり。
それがコロナでてんやわんやになるなんて。
そこがアナログに感じて、人って変わらんのやなぁ・・とかある意味思います。
ということで時節柄、新コロナについてのリンクを貼っときます。
下記の厚労省サイトが標準的なものになります。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
ついでに「新たな生活様式」についても貼っておきます。
厚労省のサイトにも載ってますよ。